Dr Johan Baptist Ritter von Spix

1781 - 1826

スピックスはバーバリア*の医者の息子として誕生。
若干19歳にて神学、医学、自然科学の博士課程を修了し、
マクシミリアン王よりパリにて動物学を勉強するための奨学金を受けました。

当時、ポルトガル国王はナポレオンによる征服のためブラジルで余生を過ごすことを余儀なくされていました。
オーストリア皇女がポルトガル国王の息子と婚姻することになり、
動物学で名を成したスピックスも野生生物学会のメンバーとしてその船に同乗することになったのです。

ブラジルでの彼の使命は
現地の動物、民族、地理の研究および化石収集です。

スピックスに同行する同じく野生生物学会のマーティアスは
土壌、植物の記録収集に従事することになりました。

彼らの渡航はマクシミリアン国王の後援によるもので、
鳥のコレクターであった国王は彼らがブラジルより珍しい鳥を持ち帰ることをも
期待していたのでした。

1817年2月6日
スピックスとマーティアスはミュンヘンをあとにし、
同年7月13日、
彼らを乗せた船はリオデジャネイロに碇をおろしました。


注 *バーバリア:
後にドイツ共和国に入りましたが一部は現在もバーバリアとして存続しています。

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19世紀のブラジルでの旅は並大抵のことではないことは想像できます。
不完全な地図を手に、薬品や食料にもこと欠きながらラバに乗り旅を続けるのです。
同年12月には大河を船で渡り、ブラジル内陸部へと向かいました。

翌年11月、
ブラジル東部へ到着したスピックスとマーティアスは
1819年2月まで現地に留まり
疲労回復に努めることとしました。

その後、さらに奥地へ向かい
水もなく居住者もない地域で苦労だらけの旅が続きました。
そしてJuazeiro付近にてスピックスは、外地の人間として世界で初めて
アオコンゴウインコと出会ったのです。


アマゾンの入り口まで3000キロを下り、
1820年4月、Belemよりリスボンを目指し帰途につきました。
スペイン、フランス経由ミュンヘンに到着したのは1820年12月10日、
実に出発後、3年10ヶ月ぶりのことでした。

彼らが持ち帰った標本の数は
哺乳類 85種、鳥類 350種、魚類 116種、昆虫類 2700種、植物 6500種。
そのほとんどが科学的にまだ知られていないものだったのです。

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収集品のなかにはアオコンゴウインコもいました。
アオコンゴウという種はまだ知られていなかったため、
スピックスはそれをスミレコンゴウインコとして持ち帰りました。

帰国後発表した論文にて
アオコンゴウインコをスミレコンゴウインコ、
同じくブラジルで捕獲したスミレコンゴウインコを、ブラジル紀行の後援者マクシミリアン王の名を冠する
Anodorhyncho Maximiliani (新種)と呼ぶことを提案しました。

当時は動物学の文献も少なく、
写真もなかったことからこのような混乱が生じたのも無理はありません。


スピックスの持ち帰った青い鳥がスミレコンゴウとは異なる新種である、
と気付かれるまでに12年を要しました。

ブラジルの過酷な気候に健康を害したスピックスは帰国後4年で亡くなり、
大いなる間違えはアシスタントのWaglerにより気付かれました。

Waglerはアオコンゴウが単にスミレコンゴウ(スミレコンゴウ属)と異種であるだけでなく、
新しい属であることにも気付きました。

Waglerはこの新しい属を成す青い鳥を
発見者スピックスの名を冠しSittace Spixii (Spix's Parrotの意)と名づけ
1832年の著書にて発表しました。


しかし、Waglerも事故により同年亡くなり、
アオコンゴウが新種として正式に世に発表されたのは1854年のことでした。


鳥類学に熱心であったナポレオンの兄弟ルシアンの息子により
Cyanopsitta
(ギリシャ語で青を意味するKyanosとラテン語でインコを意味するPsittacusの造語)
として発表されました。


その後、1860年代に発表されたドイツの鳥類学者の論文により
アオコンゴウインコの一般呼称はSpix's Macaw
とされたのです。


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ひとつの種が発見され科学的に認識されるまでこれだけの月日と
何人もの苦労と努力を伴っていたことを知り驚きました。

アオコンゴウの軌跡をたどることは
19世紀の先人達の偉業に敬服するとともに、
西が南に進出していった歴史をも振り返ることになりました。

美しき生き物と暮らす者として
考えさせられることがたくさんありました。




アオコンゴウのお話に感銘するマリン

2003.10.19



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